2012年12月29日
釜石の奇跡~被災地の子供達の心に笑顔をプロジェクトIN釜石
『がんばっぺし!』
あたり前のことが突然当たり前でなくなる悲しみを乗り越えて

釜石東中学の子供達の作品です
みんなで食べたクレープの包装紙を使ってくれました
子供達の想いが天に届き笑顔がたくさんになれるように!そんな思いで見つめました
釜石最後の夜、避難所で被害が無いようにじっと祈ってました
どれぐらいの時間だったんでしょう。。長く感じました
幸いにも被害は殆どなく津波注意報も解除されました、みんなで片付けをしながら『何事もなくみんな無事で良かった』と思いながら、被災地の方々はいつも恐怖にさらされているんですよね、今も。 有感地震だけでも何千回と起きているんですからね
僕たちに出来ることをこれからも継続していこう!!!

何ができるか ではなく 何をするか なんだと今回の釜石で痛いほど感じました
みんな車の所へ戻り、今日はどうします?
次の日もあったのでこのまま帰途につくことに、カメラマンの三浦さんと新城の千郷中学の生徒会のみなさんはこのまま宿泊、帰りのルートはどうしようか。内陸は雪がかなり降っていて危険。
釜石でお世話になった岩鼻さんの提案で仙台まで沿岸沿いを抜けてそこから東北道に乗って行くのが一番ですね!
そのルートで帰ることに、ふと『夕方あのまま帰っていたらどうなっていたんだろう』
あの子たち(エアークレープ屋さん)のおかげで助かったんですよね。私たち。
お世話になった方々にお礼をし、くれぐれも連絡をまめに入れて下さいと念押しして頂いて出発
大船渡→石巻→陸前高田→気仙沼→南三陸→仙台のルート
沿岸を走るという事は被災地を縦断するということなんですよね
あちこちの道路はいたる所で工事中、道も完全には開通はしていません、脇道にそれたりしながらの南下
突然広がる 真っ暗な何もない空間 道の両側はただ暗い場所に道路だけが走ります
これが津波の被害の現実、瓦礫こそありませんが。。。
震災前はみんなが生活していたんですよね
目の当りにした真実の姿、言葉になりません
仮設住宅に住み、仮設校舎で授業を受けていても明るく元気にみえた子供達の心の傷、さっきの津波注意報が発令された瞬間に引き戻せれてしまったんですよね
1年9か月まえのあの日に
最後に笑顔で『今度はいつくるんですか』
と聞かれ『必ずくるから』と約束しました
私たちに出来ることは本当に小さな事です、でも笑顔の足し算して小さな笑顔が積み重なりいつかはいっぱいになれたら嬉しいと思いこれからも継続していきたいですね。
ひとつひとつは小さな力でも輪ができたら大きな力になりますもんね
釜石の奇跡が笑顔で起きたら最高ですね!
今回のプロジェクトの縁を結んでくださったカメラマンの三浦さん、学校との調整をして頂き宿泊までせせていただいた釜石市役所の岩鼻さん、各学校の諸先生方、東京からタイトスケジュールで駆けつけて頂いた西原さん、私に同行してくれた原さん、白川さん
そして想いを支援金として託して頂いた企業さま、リトルバード、ジャパンクレープのお客様たち、友人たち本当にありがとうございました。
心より感謝いたします。
皆さまの想いは被災地の子供達の笑顔に変えて、しっかりと届けました。
それから地震の時沢山の方々に心配して頂き心強い限りでした、重ねて御礼申し上げます。
子供達の笑顔は何より最高でした!
最後に見た被災地の満天の星空の様に皆様の心が光り輝きますように。

あたり前のことが突然当たり前でなくなる悲しみを乗り越えて

釜石東中学の子供達の作品です
みんなで食べたクレープの包装紙を使ってくれました
子供達の想いが天に届き笑顔がたくさんになれるように!そんな思いで見つめました
釜石最後の夜、避難所で被害が無いようにじっと祈ってました
どれぐらいの時間だったんでしょう。。長く感じました
幸いにも被害は殆どなく津波注意報も解除されました、みんなで片付けをしながら『何事もなくみんな無事で良かった』と思いながら、被災地の方々はいつも恐怖にさらされているんですよね、今も。 有感地震だけでも何千回と起きているんですからね
僕たちに出来ることをこれからも継続していこう!!!

何ができるか ではなく 何をするか なんだと今回の釜石で痛いほど感じました
みんな車の所へ戻り、今日はどうします?
次の日もあったのでこのまま帰途につくことに、カメラマンの三浦さんと新城の千郷中学の生徒会のみなさんはこのまま宿泊、帰りのルートはどうしようか。内陸は雪がかなり降っていて危険。
釜石でお世話になった岩鼻さんの提案で仙台まで沿岸沿いを抜けてそこから東北道に乗って行くのが一番ですね!
そのルートで帰ることに、ふと『夕方あのまま帰っていたらどうなっていたんだろう』
あの子たち(エアークレープ屋さん)のおかげで助かったんですよね。私たち。
お世話になった方々にお礼をし、くれぐれも連絡をまめに入れて下さいと念押しして頂いて出発
大船渡→石巻→陸前高田→気仙沼→南三陸→仙台のルート
沿岸を走るという事は被災地を縦断するということなんですよね
あちこちの道路はいたる所で工事中、道も完全には開通はしていません、脇道にそれたりしながらの南下
突然広がる 真っ暗な何もない空間 道の両側はただ暗い場所に道路だけが走ります
これが津波の被害の現実、瓦礫こそありませんが。。。
震災前はみんなが生活していたんですよね
目の当りにした真実の姿、言葉になりません
仮設住宅に住み、仮設校舎で授業を受けていても明るく元気にみえた子供達の心の傷、さっきの津波注意報が発令された瞬間に引き戻せれてしまったんですよね
1年9か月まえのあの日に
最後に笑顔で『今度はいつくるんですか』
と聞かれ『必ずくるから』と約束しました
私たちに出来ることは本当に小さな事です、でも笑顔の足し算して小さな笑顔が積み重なりいつかはいっぱいになれたら嬉しいと思いこれからも継続していきたいですね。
ひとつひとつは小さな力でも輪ができたら大きな力になりますもんね
釜石の奇跡が笑顔で起きたら最高ですね!
今回のプロジェクトの縁を結んでくださったカメラマンの三浦さん、学校との調整をして頂き宿泊までせせていただいた釜石市役所の岩鼻さん、各学校の諸先生方、東京からタイトスケジュールで駆けつけて頂いた西原さん、私に同行してくれた原さん、白川さん
そして想いを支援金として託して頂いた企業さま、リトルバード、ジャパンクレープのお客様たち、友人たち本当にありがとうございました。
心より感謝いたします。
皆さまの想いは被災地の子供達の笑顔に変えて、しっかりと届けました。
それから地震の時沢山の方々に心配して頂き心強い限りでした、重ねて御礼申し上げます。
子供達の笑顔は何より最高でした!
最後に見た被災地の満天の星空の様に皆様の心が光り輝きますように。

Posted by ジャパンクレープ at 18:09│Comments(0)